“――ラック”
思い出そうとすると、何時もこれだ。
優しげに微笑む女性と、快活に笑って多少乱雑な手つきで頭を撫でてくる男性。
それが自分の実の両親であることは、覚えている。
2人が自分の名を呼ぶ声も……けれど、それだけ。
それ以上の記憶は、思い出せない。
思い出そうとすると、途端に場面が切り替わるように、最期の瞬間だけを繰り返し思い出す羽目になる。
この10年間、ずっと……。
『失くした記憶』
実の両親が死んだのは、俺が5歳の時だった。
12月14日という日付は、はっきりと覚えている。
と言っても、当時の俺が記憶していたわけじゃなく……毎年、その日に墓に参ってるから覚えているだけなのだけれど……。
他に後の伝聞以外で事故の事で記憶していることと言えば、甲高いブレーキ音と、鼻を突いた独特の臭気。
……俺の名を呼ぶ母さんの声と、俺へと伸ばそうとした腕が、力なく落ちた様。
突然起こった非日常を、まだ幼児と言われる年齢だった俺にそんなあっさり理解できるはずもなく……事実、何が起こったのかを当時の俺はほとんど理解できちゃいなかった。
母さんにも父さんにも、もう二度と会えないと言う事も……。
だから、事故の直後は知らない大人に囲まれる状況にただ困惑していたように思う。
どうしてお父さんもお母さんもいないんだろう、と……。
けれど、それも束の間の事で、周囲から漏れ聞こえる言葉で徐々に状況が把握できて……。
あの事故の日、両親が死んでしまったことを知った。
それ以来だ。
名前を呼ばれる度に、事故の記憶がフラッシュバックするようになった。
同時に、両親の事が事故以外の事をほとんど思い出せなくなってしまった。
酷い時には過呼吸を起こす俺を見て、事故後俺を引き取ってくれた冴凪の両親が手続きをして、今の名前を貰うことになった。
実の両親の事を、忘れる必要はない。
だけど、無理に思い出す必要もない。
2人はきっと、そんなことは望まないって……。
親戚としては遠縁でも、2人と親友だったのだという冴凪の両親が、そう言ってくれた。
辛いのを押してまで無理に思い出したとしても、2人は喜ばないって……。
実の両親の事を忘れたいわけでも、忘れるつもりがあるわけでもない。
だけど、冴凪の両親の事も、引き取ってくれた恩もあるけれどそれ以上に“家族に”と望んでくれた事が嬉しかったから、2人もまた本当の両親なのだと思いたかったのもある。
思い出せないうえに実の両親に貰った名前を捨てることになるんじゃ、と思いもしたのだけれど……。
「今の名前を捨てる必要なんてないんだよ。
それぞれの両親が愛情をこめて付けてくれた名前が2つもあるって、素敵な事だと俺は思う。
今はただ、その1つを使うだけって考えてもいいんじゃないかな。」
悩んでいた俺に、和兄ちゃんがそう言って後押ししてくれた。
その言葉に素直に納得できたから、俺も名前を変えることを了承した。
あれから、10年が経過した。
その間ずっと、俺は冴凪勇騎と言う名前を使い続けてきた。
翼はまだ小さかったから、今となっては俺の前の名前をちゃんと覚えているのは、俺と和兄ちゃんくらいのものだ。
そして、俺は未だに実の両親の事をきちんと思い出せずにいる。
それを申し訳ないとも思うけど、焦った所で思い出すのは事故の事ばかりだ。
あまり無理して、和兄ちゃんや翼に心配は掛けたくない。
だけど……何時か、思い出せたらいいと思う。
一緒にいれた時間は、そう長くはなかったかもしれないけれど……やっぱり、血の繋がった親の事だから。
一人息子である俺ぐらい、ちゃんと覚えていてやりたいと、そう思う。
そんな事を考えていれば、ふと頭が撫でられる感触に意識が戻される。
視線を上げれば、少し心配そうな顔をした和兄ちゃんがいて……考えるのに集中し過ぎて、兄ちゃんが傍に来ていたのに気付かなかったらしい。
ごめん大丈夫だよ、と笑って見せれば、また頭を撫でられる。
……昔から、俺や翼が落ち込んでると決まって兄ちゃんは頭を撫でてくる。
多分、もう癖になってしまってるんだと思う。
嫌だなんて思うことはないけれど、最近は少し、気恥ずかしい。
大丈夫だって、と言ってその手から逃れれば、くすりと笑った後他愛ない話を振ってくれる。
それに少しほっとしつつ、近いうちに一度墓の掃除にでも行こうかな、なんて考えた。
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